私の今までの人生編No.1

私は父・母・兄・祖母の5人家族の下に生まれました。
その時の経験があってこそ、今の自分がいます。
「インナーチャイルド」という言葉がありますが、
今でも幼い頃の自分を思い出して涙することがあります。
そんな時私は幼い自分に「よく頑張ったね」と声をかけてあげていますよ🤗
それでは項目ごとに今までの私の人生を振り返ってみます❤︎

 

★祖母と母編★

さて、私は両親が共働きだったからか、強烈な祖母っ子でした。
いつも何をするにも祖母と一緒で、片時も離れたくないくらいでしたので、
そんな私に母は「あんたは本当に可愛くない」とよく言ってきましたね。
冷たく当たられることもありましたが、今となっては、何より
その頃の母の気持ちがとても理解できます。何よりまず、
母は毎日仕事で疲れきっていた感じがします。
そして、とても孤独だったのだと思います。
疲れて帰ってきても癒される場がなかったのでしょうね。

なぜなら娘の私は祖母にベッタリで母にはなつかないし、
夫は自分勝手、フルタイムでこなす仕事も好きでやってるわけでもない。
そんな状態では心の拠り所がなく、本当に辛かっただろうなと思っています。

その一方で、きっと幼い私にしてみればこの頃の母の言葉は今でもしっかり覚えていますし、
傷ついた可能性は大いにありますね。

また、大好きな祖母と母はあまり仲が良くなく、
物心ついた時から私は頼まれてもいないのに間に入って、
二人が喧嘩しないように気をまわしていました。
子供ながらに祖母を守りたかったんですね。
このことも自分の性格に大きな影響を及ぼしています。

 

そんな大好きだった祖母が、ある時しばらくの間親戚の家に行くことになり、
深く傷ついたこともありました。
しばらくの間、いとこが鍵っ子になってしまうからという理由だったのですが、
祖母がいなくなれば当然今度は私が鍵っ子になるわけです。
私より、いとこを選んだように思えてしまったんですね😖
追い討ちをかけるかのように、母も「おばあちゃんはあんたが可愛くないから
出て行ったのね。○○ちゃんの方が可愛いから」と意地悪を言ってきました。
とても傷ついたのか、この日を境に私は今までのように
祖母になつくことはなくなりました。

 

★父と母編★

両親の仲も良くなかったので、そのことも影響してか
昔から異常に周りの顔色を伺う性格になっていました。
学校生活でもそれは顕著でした。

父は私と兄をとても可愛がってくれ、
愛情を感じることはできましたが、家庭そっちのけの人でした。

家族旅行に連れて行ってもらったことも一度もなかったので、
周りの友達たちのことがいつも羨ましかったのを覚えています。

自分勝手な父は、生活費を母に渡さない時もあり、泣いてた母の姿を今も覚えています。

母は、時折小さな私を抱きかかえて「こんな可愛い子を抱っこするのもこれが最後」
と離婚をほのめかしたり、ある時は私をどこかに養子に出すと言ってきたり。。。
幼少期のこのようなことが積み重なり、私って必要のない子なんだなって、
感じていくようになります。

こうして私は自己評価が低い、自分に自信のない子に育っていきました。

 

★学力編★

私の小学生時代は大人しい性格で、ものすごく出来の悪い子でした。
そのレベルは、特殊な学校に行かれた方がいいのでは??と担任から言われるくらい。

小学校時代はずっとそんな感じでしたが、中学に入り、勉強を頑張りたい!
と思うようになり、
頑張ってみたらなんとトップレベルの成績になれました。
そこからは県内で一番の進学校を目指していましたが、「お金」が理由で
進路を変えることになります。県内一の進学校に絶対に合格する保証はありません。

私立特進の併願の合格はしていて、そちらに通うことになっても構わなかったのですが、
お恥ずかしながら、私立の特進の授業料を払ってもらう余裕が、
うちにはないように思いました。

そこで、私は自分の本当に行きたい高校に行くことができませんでした。
第一志望の高校を受けることもできず、すでに合格している私立に通うことも
諦めたのです。
残念なことに、学区の問題で、他に普通科の高校が中々なく(極端にレベルが下がるか、遠い)
渋々学力は高いが、卒業後はほとんどの生徒が就職をする高校へ進学することになりました。

 

この3年間は楽しい日々ではありましたが、私にとってはほろ苦い経験です。
私は進学を希望しているのに、周りに進学希望の人はほぼおらず、
モチベーションが高まる環境ではありませんでした。
また、授業のうち三分の一は普通科とは関係のない、専門の授業を受けることになり、
得意だった英語も他の普通科の高校に通う方と比べると、圧倒的に授業が少ないため、
どんどん遅れを取ることになります。
一度だけ、高校受験し直すと母に打ち明けたことがありましたが、
泣きながらの説得に強行することはできませんでした。
親に心配をかけることは、子供であっても、辛いものです。

★両親の病気で絶望的!★

高校時代には母が突然の病気になり(今は元気ですが)、
今度は追い討ちをかけるように父が病気で働けなくなってしまいました。
これは大変ショックでした。両親ともいなくなってしまうのではないかという不安が
襲ってきました。これを機に、大学への進学も諦めることにしたのですが、
当時の担任が行った方がいいと強く勧めてくれ、
結果的には県内の大学に推薦で進みます。

本当は関西の外語短大へ進みたかったのですが、
ここでもお金を理由に諦めることになります。

母は行きたい所に行けばいいと言ってくれましたが、
母にそこまでの負担をかけることはできないと私が判断したためでした。

幼少から外国に対する憧れが大変強く、英語も好きだったので
留学もしてみたかったですが、お願いできるわけもなく。。。
大学4年に上がる前の春休みに、自分の貯めたお金を握りしめて
単身ニュージーランドに渡りました。

ここでの体験がまた海外に対する憧れをより強くしました。

卒業後も何度か海外移住を試みましたが、いずれも失敗‼︎
一つは病気の上、わがままな父を母一人に任せることへの罪悪感。
実際に、親戚ぐるみで反対されました。

でも、気づいたんです。結局は理由をつけながら自分が準備できてなかったということに。

そこまでの覚悟ができていなかったということに。
高校受験の件に関しては、私はまだ子供だし、やむをえないかとも思いますが、
成人してからの人生は、私自身の責任ですね。

 

 

No2に続く

 

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